亥年選挙にシシは出るか(大機小機)
今年は亥(い)年。政界は12年に一度、統一地方選と参院選が重なる「亥年選挙」の年だ。12年前と24年前の前2回は自民党が苦戦し、結果として時の総裁は2度とも総裁の座を追われた。しかも、12年前の総裁は安倍晋三首相だった。それだけに与野党問わず、政界がなにかとかまびすしいのもうなずける。
「亥」、イノシシといえば、政治家がよく使う言葉がある。「山より大きなシシは出ない」。池田勇人氏が難局に直面した時に好んで使い、大平正芳氏や宮沢喜一氏ら池田氏が旗揚げした宏池会の歴代領袖も、池田氏にならった。
たとえば平成5年、1993年元日の首相公邸で宮沢氏は中国の鄧小平氏の言葉を借りて「いろんなことがあっても、天は落ちてこないから大丈夫」と語るとともに、池田氏の「山より大きな……」も引用した。つい1カ月前には竹下派が分裂し、内閣改造で自前の人事もしたばかり。自信に満ちあふれていた。
ところが、わずか半年後に運命は暗転し、宮沢氏は自民党を分裂させて結党以来、初めて下野させた総裁となる。山より大きなシシが出たのだ。
歴史をひもとけば、まだまだアナロジーはある。亥年選挙といわれ出したのは平成になってからだが、昭和の亥年選挙はどうだったか。もう半世紀近くも昔になる昭和46年(1971年)、政権を担当していたのは安倍氏の大叔父、佐藤栄作氏だった。
この年、自民党は地方選で東京に続いて大阪でも革新知事の誕生を許し、参院選も不振に終わる。佐藤氏は前年に総裁4選を果たし、レームダック化していた。佐藤氏の引退はその翌年だった。昨年、3選を決めて4選のない安倍氏にとって、何やら因縁めく。
まだある。今年は代替わりの年だが、平成に改元して最初の国政選挙は参院選。自民党は初めて過半数を割る惨敗を喫したのだ。
安倍氏にとって吉例もある。36年前の亥年、中曽根康弘氏は地方選も参院選も無難に乗り切った。とはいえ、この時の中曽根氏は政権2年目。まだ先のある総裁でもあった。
すでに年頭から相場は荒れ、世界は激動し、衆参同日選も取り沙汰される。果たして、亥年選挙で山より大きなシシは出るのか否か。
(弦楽)